二進法今昔
世の中は何でもかんでもデジタル、デジタルとうるさくて、二進法がそんなにいいのかのよ、と悪態の一つもつきたくなってくるが、アニメ業界も例外ではなく、ここ数年で作業のデジタル化は飛躍的に進んだ。
僕が業界に入った6年前は、ちょうど過渡期でもあった。現在の制作方法が導入され始めていたが、まだ、「デジタル」という形容も浸透しておらず、CGは部分的・補助的に使われるものという認識も強かった。今では、アニメーションの画像は、彩色と撮影がデジタル化され、最終的にはパソコン上で作成されるのが一般的で、セルと背景を合わせて撮影台の上で16ミリフィルムを回すという昔ながらの光景は殆ど見られない。また、ビュアーを使って行われていた編集も、ベーカムからハードディスクに落とし込んだカットを編集ソフトで繋いでゆくオフライン編集が主流になり、随分と便利にはなった。現在放映されているテレビアニメでセルとフィルムを使っているのは、某国民的海産物家族アニメと、マンガの神様原作の少年ロボットものの2本だけである。もう今では、絵の具やセルの製造も終了していて、在庫が残っているだけの状態だ。
セルを使っていた時代、制作進行はとにかく重い荷物を運ばないといけなかった。何十枚というセルの束を入れたカット袋を何百カットも撮影に運ぶ作業は、腰が痛くなるしんどさで、特に目白通りにある某撮影会社など、4階までエレベーターなしで、「オカモチ」と呼ばれるプラスチックの箱(仕出し弁当の運搬などに使う箱を想像してもらうといい)に詰まったカット袋を運ばなきゃならなかった。演出も、撮影前には撮出しという素材の最終チェックを行わねばならず、朝始まる撮影に合わせて、徹夜でセルを一枚一枚引っ張り出しては見る、という手間の掛かる作業に時間を費やしていた。
仕上げ(彩色)や撮影も大変なことには変わりなく、何しろ一枚一枚色を塗り、一枚一枚撮影台の上で取り替えては撮影するわけで、やたらと手間の掛かる作業であった。その昔は、紙に描かれた動画の輪郭線を手でペンにつけた絵の具でなぞり(ハンドトレスというやつだ)、裏から色を塗っていたのだが、もう少し時代が進むと「トレスマシン」という機械が幅を利かせるようになった。セルと動画の間にカーボン紙を挟んでこの機械に送り込むと、熱されたガラスのシリンダーの圧力でカーボンが鉛筆の黒い線をセルに転写する。これも結構手間の掛かる作業で、仕上げの専門の人はともかく、制作がたまに用事があって使うと、セルと紙の間に空気が入ったりして上手くいかなかったり、カーボンの裏表を間違えて紙に線が転写されたり、セルをはさむのを忘れて(押さえのカバーも透明なセルなので、勘違いしてよく忘れる)カーボンでカバーを駄目にしたり、圧力が弱くて転写が薄い、とかつまみを回して高圧にすると送り込みのローラーに使われているゴムが熱で煙を出して火を噴いたり(凄いにおいがする)、とにかく扱いにくいものだった。当然ながら、トレスマシンは業界以外では使い道のない機械なので、製造元はプチ独占企業で、制作スタジオは、メンテも含めて単純な構造の割にはバカ高い金を払わなければならなかった。高いと言えば、紙やセルにタップ穴を開けるパンチャーも(これは今も使われている)、何万円もする道具である。
撮影が終わっても、フィルムを使っているので、現像・焼付けは勿論必要で、フィルム缶に封入された撮影済みリールを調布や五反田の現像所に運び込み、さらに上がったものを回収して編集に送るという手間の掛かってしょうがないことばっかり多かった。セルもフィルムもデリケートな素材で、優しく扱ってやらないとすぐに汚れたり傷ついたり、うざくて仕方ない。重いセルの入った箱をうんしょうんしょと運んだ後、どっしゃあと降ろして、仕上げさんに「セルが駄目になるでしょ!あんた」てなふうに怒られたり(行程として後のほうになるほど短い時間で負担の多い仕事をすることになるので、気がたっていたりもするのだが)、ラッシュフィルムを映写機にかけたときにギアの噛みあわせを間違えてフィルムのパーフォレーションを駄目にしたり、フィルムを切ってしまったりというのは、何度もやってしまった。
セルの扱いで、伝説化したエピソードがあって、雪の積もった日の朝、仕上げの検査、撮出しの終わった素材を、制作進行(男)が撮影所に運ぼうとして、車に積み込んでいた。そのとき、徹夜で疲れた頭で、積荷の一部を車の屋根の上に置いたままであることを忘れて発車してしまい、雪の上に素材を落としてしまった。青くなったがどうすることもできないので、徹夜明けの仕上げ検査(女)に頼み込んで、素材の手直しをしてもらうしかなかった。…これだけだと「ふーん」という程度であるが、落ちがあって、その進行と検査は結婚したそうである。
デジタル化されたことで、彩色以降の行程、制作の面倒くささは大分解消された。紙に鉛筆で描かれた動画(これは今のところ、一部を除いて劇的に変わってはいない)をスキャナーに取り込み、彩色ソフトを使って色をつけ、撮影ソフトを使ってレイヤーごとに並び替え、書き出し、レンダリングを行い、最後にベーカムに落とし込む。こういう一連の作業が、場合によっては一つのスタジオ内でできる、あるいはいくつかのスタジオを経由するにしても基本的には電子データをディスプレー上で加工するというようにスマートなものになった。無論、技術革新というのは合理化であって、以前よりも大量の作業を同じ時間でやらないといけないという羽目になる。また、これらのソフトはプロテクトキーがないと使えないので、コピーが実質上無効で、使うパソコン(人員)の数だけソフトを購入しないといけない。ハードも含めて、結構な設備投資が必要であったりして、いいことづくめとはいかないのだが、かなり便利にはなった。ちなみに、一般社会で発達している事務作業については、アニメ業界の制作管理ではパソコンはさほど普及していない。
演出の立場から言っても、ラッシュチェックで出たリテークがあっという間に直せたり、フィルムを使っているときには現像所のオプチカルプリンターを使わないとできなかったカメラワーク(つまり金がかかるので使わない)を、比較的手軽に付けられるようになったことは大きな変化で、良くなったことだとも言える。
根本的な問題としては、そもそもセルアニメの絵をデジタルに置き換えることに意味があるのか、という疑問は実は残っている。絵を動かしてみせる、という作業を効率化するために編成された形式を、表現の表象として再現すること。セルアニメのデジタル化というのは、実は記号化された映像であるセルアニメ自体を更に記号化しているだけなのである。デジタルでなければならない理由は、効率を上げるという点が大半を占めているのだが、デジタル化が行き渡っているこれからは、アニメーションという形式そのものが問われるのかも知れない。